Kyoto, Japan — In the spirit of 1872

裏勝り(Ura-Masari)

江戸時代、幕府はたびたび奢侈禁止令を出し、町人が富を装いで誇示することを禁じました。着るものの素材も、色も、制限の対象でした。

町人たちは、従いました。表向きは。
表には茶や鼠色といった地味な色をまとい、目の届かない羽織の裏地に、表よりも手の込んだ柄や染めを忍ばせました。誰に見せるためでもなく、自分だけが知っている。規制は、美意識に変わりました。これが「裏勝り」です。

バーシティジャケットは、もともと功績を上げた学生に贈られる上着でした。胸に大きな頭文字を縫い付け、その栄誉を外に向かって示すための服です。

THE URAhは、その胸から文字を外しました。外側は深い黒のメルトンウールと黒桟革。内側には、京都で織られたジャカードの裏地が、着る人にだけ見える場所にあります。そして内ポケットの織ネームには、こう織られています。

AN AWARD FOR THOSE WHO KNOW.

見せるための勲章だった服は、知る者のための勲章になりました。

The Spirit We Inherit — 1872

ロゴに刻まれた「1872」は、THE URAhの創業年ではありません。私たちが継承する精神の、源泉となった年です。
THE URAhは、2026年、京都で生まれました。

  • Revolution N° 01 — The Jacquard Crossing

    1872年、京都府は、まだ見ぬ技術を求めて、西陣の織り手たちをフランス・リヨンへ送り出しました。都が東京へ移り、西陣は存続の危機にありました。千年の織物の都が、自らの伝統だけでは先へ進めないと判断した。その決断自体が、革命でした。彼らが持ち帰ったジャカード織機は西陣の織りに近代化をもたらし、京都の織りは世界の技術と結ばれました。

  • Revolution N° 02 — The Paradigm Shift

    同じ1872年、太政官布告により、政府の礼服は和服から洋服へと定められました。宮廷の装束を頂点とした千年来の装いの体系が、一枚の布告で転回した年です。日本の正装が洋服へと向かう流れは、ここから決定的になりました。

伝統は、守るだけでは前へ進まない。
異なる世界と結ばれたとき、次の姿が生まれる。1872年が示したのは、その精神です。

1872年。京都の織り手は海を渡り、日本の正装は洋服へと舵を切った。
2026年。その精神を継いで、三つ目を試みる。
日本の四つの産地の手仕事を、アメリカのバーシティジャケットに結ぶ。

名前がつくのは、これからだ。

Four Regions, One Jacket

THE URAhには、本店も、自社工場もありません。あるのは、四つの土地の仕事です。
尾州のウール。姫路の黒桟革。京都のジャカード裏地。羽生の縫製。それぞれの土地には、それぞれの蓄積があります。ひとつの工場にまとめて任せれば、もっと早く作れたはずです。それでも私たちは、素材ごとに、その素材と長く向き合ってきた土地へ運ぶことを選びました。効率の逆を行く作り方です。
一着のジャケットが、日本列島を旅してから届く。その記録は、こちらでご覧いただけます。

  • Bishu MELTON Wool

    羊毛に、水。水に締まり、歳月を経て、なお立つ。

    尾州へ 
  • Himeji Kurozan Leather

    革に、漆。手に生まれ、時に磨かれる。

    姫路へ 
  • Kyo-Ori Jacquard

    糸に、色。京都で織られ、内側にだけ纏う。

    京都へ 
  • Hanyu Tailoring

    布に、針。最上の仕事は、見えない場所にある。

    羽生へ